シェイクスピア「もの」語り
松岡和子 著
著者は翻訳家・演劇評論家。この本の中でも何度か紹介されているが、河合隼雄と対談した本「快読シェイクスピア」を以前読んだことがあって、シェイクスピアへの思い入れと知識の深さに感心したのを覚えている。この対談本も非常に面白かった。
この本は、題名の通りの【シェイクスピア「もの」語り】が前半から殆どで、最後に少し【シェイクスピアの女性たち】というのがついている。シェイクスピアの戯曲から出てくる「もの」に焦点を当てた、あるいは女性個人に焦点を当てたもの。どちらも90年代から2000年代に雑誌に連載されていたもの。
一つ一つの話は簡潔でわかりやすいが、内容的には個人的にシェイクスピア作品自体は有名所をいくつか読んだ程度だったので、やや知識不足だったというか、原作をもっと知っていればもっと面白く読めたはずというのが多かった。逆に言うとそういう知識のある人が読んだらさぞ面白い本だろう。
印象に残った1つは【マクベス】における「蝋燭」の意味の話で、原典の単語「brief(時間的に短い)」の使い方の話。
ここのbriefは従って、蝋燭の丈が短いということを表すと同時に、火が灯っている時間も短いという二重の意味を含んでいる。と言うよりむしろ、火が灯ってからけるまでの時間的な短さに寄り添うように、次第に蝋が溶けてちびてゆき、火とともに消えて無くなるという物理的変化が見えてくると言ったほうがいいかもしれない。
蝋燭の物理的な長さを命の短さに例えているわけだが、蝋燭=命という例えはシェイクスピア以前からあるものなのか、このあたりから始まったものなのだろうか。日本人としても蝋燭というとお葬式や仏壇には御灯明として馴染み深く「命」や「死」を感じさせる怖さがある。一方で、停電の時にはやや暖かく柔らかい光に癒やされたりもする。
インターネットスラングでは「snuff」というのは「殺す」という意味で、「snuff film」というと殺人動画ということになる。snuffは蝋燭を消すという意味で、もともとフッと息を吹きかけて蝋燭を消す擬音語だそうだ。
また他に印象的だったのは【夏の夜の夢】を舞台化する上で1970年にイギリスの演出家ピーター・ブルックによって人間界の王と王妃、妖精界の王と王妃を同じ俳優に演じさせる、という「革命」が起こったのだそうだ。
シーシアス/オーベロン、ヒポリタ/ティタニアの四役を四人の俳優が演じていたブルック以前の『夏の夜の夢』では、人間界と妖精界を並列的に描いていたわけだが、ブルックはそれをダブリングによって重ね合わせ、二つの世界に立体的な奥行きを与えて立ち上がらせた。人間界と妖精界が表裏一体だということを示したのだ。
この話を読んだ時に、確かに対になっているとは思ったような気はするが、敢えて同じ俳優に演じさせることで奥行きを与えるというのは舞台というのも奥が深いものだ。
この本を読んで感心するのはシェイクスピアの話の作り込みの細かさで、登場人物一人一人の持つものから言葉遣いまできちんと整理されていること。こういうものは舞台で演じることが前提の戯曲ならではということもあるのだろうか。
そしてそれを具に読み取る著者松岡和子本人他、この本で紹介されている脚本家、演出家、俳優なども凄いものだと感心する。もしかしたら時代を経てシェイクスピアの意図を超えて話は進化しているのかもしれないなと思わされた。特に舞台に於いては試行錯誤の中で進化しているのだろう。
そう考えると本で読む上では、英語圏の人はシェイクスピアは英語で書いているわけだから、原典を直接味わうことができて羨ましいと考えることもできるが、それを日本語で読む日本人は訳者の解釈を介している分だけ、多くの解釈を楽しむことができてこれからも新しいものを読むことができる、とも言えるのかもしれない。
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