2019年3月31日日曜日

脳はいかに意識をつくるのか


脳はいかに意識をつくるのか
脳の異常から心の謎に迫る


ゲオルク・ノルトフ 著
高橋洋 訳


2016年11月19日 第一版第一刷発行

突然言葉が出なくなったジャーナリスト、バイク事故で頭部に外傷を負い意識を失った若者たち、仕事で大きな期待と責任を背負うことになり鬱病になってしまった女性、大学に進学して統合失調症を患ってしまった数学の天才。こうした「架空」の事例に沿って、脳と意識の関係について述べられている。特に物語的になっているわけではなく、脳の部位など一般には聞き慣れない言葉も多く簡単ではない説明が続く本である。

神経科学と哲学に関わる話で、神経哲学(Neuro-Philosophy)という分野になる。著者の肩書は「神経科学者、哲学者、精神科医」だそうだが、スタンスとしては神経科学者の立場から哲学を考えているという印象を受けた。神経哲学とはおそらく本当に新しい学問で、日本語に(英語にも?)なっていない単語も多いはずで、訳者の苦労が偲ばれる。その意味で少々読みにくさがあるようにも思ったので、日本人の神経哲学者が書いた本があれば読んでみたいとも思った。

最後の章が「アイデンティティと時間」という題目だった。全体として著者は脳(主観)と世界(客観)の「時間」という概念を大事にしていて、そこにズレが生じるとアイデンティティを失う、統合失調症のような問題が起きるという。

「アイデンティティ」というのは一般に「自己同一性」と訳すが、私は正直言って昔から「自己同一性」という言葉は意味がわからなかった。おそらく「自己同一性」という字面の言葉と意味する内容が日本語として合っていないからこそ日本語でも「アイデンティティ」という言い方が普及したのだと思う。

時間を通して、何が人格の同一性を保っているのだろうか? 現在五二歳の私は、二三歳のときと同じ人格を持つのか? 確かに人は、皮膚の皺や髪の色などの身体的特徴から、思考、信念、態度などの心的特徴に至るまで、ときの経過とともに大きく変化する。だが、これらの身体的、心的特徴の変化にもかかわらず、私は依然として同じ人格を持っている。

つまり「自己同一性」というのは、今この瞬間の「私(自己)」と次の瞬間の「私」ずっと先の瞬間の「私」、これが同一だということ、この性質を「自己同一性=アイデンティティ」と呼ぶということだ、と理解した。

神経「科学者」というととかく「客観」的であり「主観」を軽んじがちな印象を持つが、著者は「主観」をきちんと重視して考えている。個人的には大げさに言えば、結局は主観が全てだと思っているのでこのスタンスには好感を持った。また「それについてはまだ明らかになっていない」というような結論が意外と多いのが印象的だった。神経哲学という新しい学問に対して、著者が無理に結論を急がずに読み手に指針を示そうとしている姿勢が伺えた。

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