龍を見た男
藤沢周平 著
昭和58年8月刊行
藤沢周平の短編集。全部で9話だが、そのうち町方が主役のものが7で、武家が2。武家物も1つはなんとなく庶民的な印象の話である。全体として終わり方が悪い意味じゃなく中途半端というか、もう少し書けそうなところを省略して含みを持たせている印象のものが多い。
個人的に気になったのが「失踪」という話。中年の商人夫婦と、同居を拒否してずっと1人で住んでいた老人の父親が病気になったのを機に同居を始める。病気は難なく治ったものの、ボケ始める。知らない人を連れてくる、風呂屋で女風呂を覗いたといって怒られる、しまいには夜間に徘徊するようになる。それを咎められても薄笑いを浮かべているだけ。
息子夫婦の商売は上手くいっているが、二人とも商売に忙しい中で老人の世話(介護)も仕事に加わるという、特に嫁の忙しさ、大変さが伝わってくる。なんとなく身につまされて印象に残った。最終的に老人は徘徊して「失踪」してしまうのだが、そこは流石に小説なので面白いことになるのだった。
必ずしもハッピーエンドで終わる話ばかりではないものの、全体として陰鬱な印象の話はない。町方の話が多いせいか、人情に重きをおいた印象の本だった。
巻末の「解説」を作家の小松重男が書いていて、藤沢周平の本の中の江戸時代の地理の正確さ、そして身分による言葉遣いの表現の巧さを褒めていた。特に地理については、自身も当時の地図を見ながら書く(読む)ということをするらしい。そして小松重男が引用する藤沢周平の発言の中に、実際に江戸時代の町並みに近いものを見ているであろう岡本綺堂にはかなわないと思うことがある、という発言があって興味深いと思った。
小説というのは前の時代の作品を読んだ作家が書くものなので、基本的には時代とともに進化しているものだと思うが、時代設定や舞台によっては後から書く方がどうしてもかなわないという感想を持つこともあるものなのだろうか。
そして、時代考証は難しいが、その難しさというのも時代小説を書く才能の一部であるという藤沢周平の発言に小松重男も同意している。個人的には江戸時代の文化や地理そのものにはあまり興味はないが、やはり考証が正確であろう、という信頼感がないと時代小説は読む気がしない。
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