十二夜
ウィリアム・シェイクスピア 著
小田島雄志 訳
1983年10月10日 第1刷発行
先日読んだアガサ・クリスティーの「杉の柩」の題名の元になっている歌がこの「十二夜」で歌われている。なぜその小説が「杉の柩」という題名だったのか気になったのでこちらも読んでみたのだが、結局よくわからなかった。この歌の部分だけ見れば、そしてクリスティーの小説の方から考えると悲劇的な話かと思ってしまうが「十二夜」は楽しいドタバタ喜劇だった。Sad Cypressはそのまま「杉の柩」と訳されている。どういう順番でこうなったのだろう。
くるがいい、くるがいい、死よ、
この身を杉の柩に横たえよ。
去るがいい、去るがいい、息よ、
美しいむごい娘に殺されて。
櫟(いちい)の枝、経帷子(きょうかたびら)の胸にさし、
着せておくれ、
二人とないまことの愛に死ぬものを
飾るために。
花一つ、花一つさえ、
この身をおさめた柩にそなえるな。
友一人、友一人さえ、
悲しみの野辺の送りに従うな。
人知れぬ山奥の地に、この身を
埋めておくれ、
墓を見てまことの愛に泣くものを
避けるために。
そしてこの本が凄かったのは「韻」というか、ようは「ダジャレ」が多く、小田島雄志がそれを独創的に訳しているところ。
いいふくめる?おれの服はいい服だぜ、ふくいくたる酒を注ぎこむこのふくよかな腹を包むにゃ不服はない。
そして、岡本綺堂の戯曲を読んでいても思うことだが、基本的にセリフしかないこうした戯曲というのは意外と本として読みやすい。
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