2019年5月17日金曜日

早春 その他


早春 その他
藤沢周平 著


平成十年一月二十日 第一刷

藤沢周平は平成9年(1997年)に亡くなっているので、亡くなってから出版された本である。短編小説3つ「深い霧」「野菊守り」「早春」と他にエッセーが4編掲載されている。このうちの「早春」について帯には唯一の現代小説と書いてある。現在から見れば時代的には既に時代小説ということになるのだろうか。この理論で行くと作者が書いている”現在”を舞台にした作品は読者に渡った時点で全て時代小説ということになってしまうか。

一般的な話として、作家が亡くなってから未発表の作品が出てくるということが時々あるが、本人が発表する気がなかったものはあまり読む気がしない。それが必ずしも面白くないということではないというのはわかっている。実を言うとこの本もそれを誤解していて手を付けていなかったのだが、この本に掲載されているのは全て雑誌に掲載されたもので未発表のものではない

その貴重な現代小説「早春」は味は有るが、他の時代小説2つの方がやはり素直に楽しめた。面白かったのが後半のエッセーの方で、特に「小説の中の事実」という時代考証についての話が興味深いものだった。

藤沢周平は考証に物凄く拘っていて、登場人物が人を尋ねた日付まで根拠を持って書いているというから流石というしかないし、本人の書き方からもこの点には自信が感じられる。それでも適当なことを書いてしまったと後悔することもあるのだという。その上で、推測で書いたことが後から史実として裏付けられるケースも紹介されていて極めて興味深い。

江戸時代の山形の山村が舞台になっている「春秋山伏記」という小説があるのだが、これにでてくる山に住む「箕つくり」という人々について、基本的に謎の生活をしている人たちで個人的にも印象に残っていた。藤沢周平は自身が子供の頃に実際に彼らを見ているのだという。そして、そこから推測、推理を巡らせて舞台を作って登場させたということのようだが、これについても後から歴史として確認されたという話が書いてあって感動的だった。

一方で、他の人が書いた小説を考証の材料として利用することは絶対にしないのだという。

エチケットその他いろいろあるわけだが、その一番の理由は、資料として信用出来るのかどうか、確信がもてないというところにあるだろう。つまり敬遠するわけである。失礼な話のようだが、作家が扱っている事実には、どこにどんな仕掛けがしてあるかわからないから、と思うのは、私自身時に平気でそういう文章を書くからである。

その仕掛けについても適当にするわけではなく、説明できる根拠をもってするということが書いてある。藤沢周平の小説は良いところがたくさんあるが、この徹底した考証の信頼感が下地にあるからこそ楽しめるものなのだろうと思った。




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