アガサ・クリスティー 著
恩地三保子 訳
2004年5月15日 発行
いま出ている本は2004年初版だが、おそらく同じ訳で絶版になっている前の版は1976年が初版で、訳自体は新しいものではない。訳者の恩地三保子(1917-1984)は「大草原の小さな家」の訳で有名な人のようだ。アガサ・クリスティーの作品では「満潮に乗って」もこの人が訳している。
例によって過去に読んだことがあるのではないかと疑いながら読み始めたが、全く読んだことがない本だった。ポアロが登場するが、「アガサ・クリスティー作品唯一の法廷もの」とされる話で、終盤は法定でのやりとりが中心になり、ポアロがみんなの前で「タネ明かし」をするようなシーンはない。
ストーリーは複雑だが、伏線が多く張られているので犯人を途中で言い当てるまではいかなくても、もしかしたら、という疑いを持つ人は多いのではないだろうか。個人的には一応正しい犯人に対して多少は疑いを持ったものの、「ここから騙される」と最後までずっと考えていて、結局最後の最後まで間違っていた。
最後までよくわからなかったのは「杉の柩」という題名。原題は「Sad Cypress」で「悲しみの糸杉」ということにでもなるのだろうが、これもよくわからない。検索したら英語版のWikipediaにタイトルについて説明があってシェイクスピアの戯曲「十二夜」に出てくる歌の詩に使われている言葉だそう。
Come away, come away, death,
And in sad cypress let me be laid;
…
「(死んだら)その中に横たえてくれ」と言っているようなので、いくつか日本語訳を探して見ても、どうやらここでは「sad cypress」は「棺桶」の意味で使われていそうだ。実際この歌にはこの少し後ろに「coffin(棺桶)」という単語も出てくる。少なくともこの小説を最初に「杉の柩」と訳した人、おそらく恩地三保子は「十二夜」の歌を理解した上で訳したのだろう。そしてこのシェイクスピアの一節がアガサ・クリスティーの小説の題名としてどう関係しているのか、というとそこでも結局よくわからない。なんとなくこの詩はこの話の主役エリノアの心境を表しているようには思えるが、これを理解するには「十二夜」についてよく知らないといけないだろう。
この本は作者の名前が「アガサ・クリスティー」になっている。一方でWIkipediaの項目では「アガサ・クリスティ」になっている。そのWikipediaによれば、早川書房は「クリスティー」で統一されているそうだ。結局どっちが正しいということにもならないだろうが、早川書房が「クリスティー」としているならそっちに従うべきなような気もする。検索が進化した今となってはそれほど神経質になる必要もないだろうか。
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