2019年4月3日水曜日

脳はすごい


脳はすごい
ある人工知能研究者の脳損傷体験記


クラーク・エリオット 著
高橋洋 訳


2015年10月16日 第一刷発行

外傷性脳損傷(traumatic brain injury:TBI)を患ったAIの研究者である大学教授がその生活の苦労と工夫、そして回復について自ら著した本である。難しい言葉が出てこないわけではないが、基本的には著者自身の経験を綴った本なので、非常に読みやすく興味を惹かれる本だった。

脳損傷の原因になった交通事故については割と大雑把にしか書かれていない。

突然、一台のチェロキー(ジープ)が濡れた路面のせいでスリップし、私が運転していたマツダセダンの後部に突っ込んできたのだ。その際私の頭は、ヘッドレストに当たってボールのようにはずみ、前方に投げ出された。一瞬星が見え、それから一秒ほど目の前が真っ暗になった。私は意識がもうろうとしていたが、交通量の多い交差点を出て曲がり、グロスポイント道の路肩に車を止めた。

その後、警察には病院に行くことを勧められるが、忙しいので断って仕事に向かう。追突した車の女性と話し合った件も書かれているが、特に恨みがましいことは書かれていないし、訴訟にもならなかったようだ。

そこから、この本の文字通り3分の2までは、この事故による外傷性脳損傷を原因とする高次脳機能障害(この本では「脳震盪症」と呼んでいる)を患った生活の中での苦労話が続く。事故後も大学側の厚意を得たとは書いてあったが、そのまま普通に教授として務めていたようだし、事故後にも子どもが生まれ、シングルファーザーとして子供の面倒も見ていたようだ。

よくわからないが、火事になって壊れた家を買って自分で直しながら住んでいて、その過程で病気になった大木に登ってチェーンソーで切り落とす作業をしたとかいう話もある。ぶつかられたのはマツダのセダンだったが、後の話で車が「カルト人気のあるトヨタスープラ」になっていたりするので、それなりに人生を楽しむ余裕があったようでもある。

おそらくは、彼自身が頭の中で苦労しているほどに(むしろその苦労の甲斐があって)、周囲からはそれほどおかしくは見えていなかったのだろう。そのせいか、初期の頃にたまたまかかった医者からも事情を知らない周囲の人たちからも理不尽な扱いを受けている。彼自身そのことに特別に苛立っている様子はないが、結構酷い話が多い。

そのとき私は、彼女の車のちょうどうしろを歩いていた。彼女は、大きなサイドミラーで私をとらえて見ている。私がゆっくりと歩いているのを見た彼女は、こちらをにらみつけ、怒鳴り声を発する。どうやら、人を困らせるだけの目的で、私がわざとゆっくり歩いていると思ったらしい。それから彼女は、アクセルペダルを踏み込む。私はこちらに向かって急発進した彼女の車を、どうにか飛びのいてかわし、路面に大の字になる。

これは殺人未遂だろう…

更に言うなら事情を知った友人も、あまり丁寧には紹介されていないが一番上が18歳だという子どもを含めた家族も脳機能障害を持った著者に対して、あまり良い対応をしているようには見えない。これもおそらく、彼自身が紹介しているのは特に苦労したその場面のことで、通常はそれなりに普通に生活できていたからかもしれない。

それとは別に著者自身が自分の症状をきちんと信頼できる人に伝えることができていない状態で長い時間生活していたようなのも気になった。さすがは自己責任大国アメリカの話だということもあるだろうが、彼自身小学生の時に高校数学をマスターして大学の授業を聞いていたという「絶対に諦めない男」を自称する天才であり、自身の創意と工夫で脳機能障害を乗り切ってやろうというチャレンジ精神のようなものも掻き立てられたのではないだろうか。その結果として、記録とAI学者としての自己分析を含めたこの本が書かれたのだろう。

そしてこの本も文字通り残り3分の1に差し掛かったところで(2歳の娘のお喋りについていけなくなったことをきっかけに)、適切な治療ができる人を探し当てることになる。彼の治療に当たった博士は主には2人で、もう1人その同僚で直接関わった博士が出てくるがそれがみんな女性だったのは偶然だろうか。

認知再構成法とは、違った方法で世界を見、思考することができるよう脳を配線し直す治療法をいう。

パズルを用いた演習を行い認知機能の再構成を図るのと同時に、視覚と脳内の視覚野との間の関係を再構成するために特殊な眼鏡を処方される。この眼鏡の効能というのが、読んでいる限り楽そう(かけるだけなので)で、即効性がありそうで、なかなか興味深い。脳の中で視覚に関わる部分は他の感覚よりも大きな部分を占める、ということは視覚が脳に与える影響は大きいのだろう。そして、著者は自分でも言うように、元々知能の高さでも、物事の捉え方が視覚に偏っていることでも少し特殊な人(「音が見える」らしい)のようなのでこの治療法が嵌ったということなのかもしれない。

いずれにせよ、脳の可塑性に期待した脳損傷からのリハビリというのは回復とか治療というよりも、学習構築といったもののようである。この著者も、以前に読んだ本のジル・ボルト・テイラーも、その「学習」という面に於いて特別に優秀な人たちであり、多くの場合ここまでの回復を期待するのは酷なのかもしれない。ただ、大学で教鞭を取れるほどまでに多くを学び直さなくても、人生をそこそこ楽しめる程度に回復することは多くの人にもきっと可能なはずだと思う。

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