2019年4月21日日曜日

草原の風


草原の風 上・中・下
宮城谷昌光 著


2011年10月・11月・12月

一見して題名から元代の英雄の話かと思ったが、そうではなく後漢の世祖光武帝の一代記である。元々の名前を劉秀という光武帝は、「漢(前漢)」の皇位が外戚の1人である王莽によって簒奪され「新」となった国を「漢」の高祖劉邦の末裔として取り戻し、「後漢」を作り上げた人である。

光武帝の生まれは紀元前6年なので、ほぼイエス・キリストと同時期に生きた人ということになる。王莽が皇位を簒奪して新を建てたのが紀元後8年なので、当時は14歳で、その簒奪の時勢をきちんと目の当たりにできた年代の人だった。

劉秀は若い頃から農事に長けていて、長安(王莽の時代は常安)に留学した学生時代から目立って有能で勤勉だがとりたてて学問の天才というわけでもない。落ち着いた寛容な人物で、徳によって周囲には人材が集まってくる。結局最後までその印象は変わらない。

劉秀は王莽に対する反乱軍に加わり、兄と共に戦功を挙げるが、当時反乱軍の中で建てられた皇帝更始帝に疎まれて兄は殺され、劉秀は上手く乗り切ったものの、北方の制定にいわば左遷された形で出ていくことになる。そこで少し面白いことが起き、その北方で「王朗」という占い師が突然前漢の成帝の子である劉子輿を自称し始め、何の根拠もなさそうなのに時代の趨勢のせいか支持を得る。

王朗がまことの劉子輿であろうとなかろうと、劉林にとってそれはどうでもよくなった。この男を奉戴して挙兵すれば、すくなくとも河北をひっくりかえすことができる。劉子輿という名をきいて劉林がおどろいたように、この名は広く知られ、いまでも威力をもっている。

日本で江戸時代に起きた「天一坊事件」のようなものか、それよりも根拠が薄そうなだけにたちが悪そうである。この王朗と劉林らによって、当時北方を回っていた劉秀はその首に懸賞をかけられ、脱出までに「河北の難」と呼ばれる大変な苦労をする。周りは全て敵ばかりで食料も少ないなか仲間と旅を続けて命からがら味方してくれる人がいる都市に辿り着く。この本でもこの場面で「介子推」の話が書かれているが、春秋時代の晋の文公となる重耳の話を思い出す。介子推はその苦しい旅の中で重耳を助けるべく特筆すべき活躍をした人である。割と中国の英雄に定番の苦労話のようだ。

この本を読む前から光武帝についての知識は一応あった。「光武帝」という割と派手な諡号と、簒奪者から漢を奪い返して後漢を建国した、という実績を考えてももう少し強い印象があっても良さそうだが、何となくこの人は地味な印象があった。この後の時代の「三国志」を読んでいても「高祖劉邦」というのは度々話題として出てくるが「世祖光武帝」が話題になっているのは見たことがないような気もする。

この本を読んで、光武帝の印象が変わったかというとそう変わらないやっぱり地味な人、という印象を持った。ただ、おそらくそれは良い意味のことだ。型破りな所はなく、徹底した寛容さと謙虚さを最後まで貫いて帝位に着いた。その爽やかさに「草原の風」という表題は良く合っていると思う。

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