2019年8月29日木曜日

孟嘗君


孟嘗君(1)(2)(3)(4)(5)

宮城谷昌光 著


(1)1998年9月15日第1刷発行
(2)1998年9月15日第1刷発行
(3)1998年9月15日第1刷発行
(4)1998年10月15日第1刷発行
(5)1998年10月15日第1刷発行

発行の日付はおそらく文庫版のもので、そうでないものはもう少し前に出ていたはず。今まで自分が読んだ一貫した小説で、もしかすると最長だったかもしれないが、その長さを全く感じさせない面白さだった。小説「孟嘗君」は90年代に各地方紙に連載されていて、当時から話題になっていたのは知っていた。あとがきに書かれていたが、連載の途中に阪神大震災があり、神戸新聞では一時連載が中断され、後にまとめて掲載されるという印象的な扱いがされたという。

孟嘗君(田文)は中国の戦国時代の末期に活躍した政治家である。基本的に「斉」の国の人で、他にも色々回っている。前から気づいていたが宮城谷昌光の本は、例えばこの本では孟嘗君が宰相として名を残している部分、つまり歴史になっている部分よりも、それ以外の部分が面白い。特に孟嘗君がその地位に至るまでの紆余曲折、おそらく多くを宮城谷昌光が創造している部分が面白い。

この小説で孟嘗君が政治家として活躍するのは全5巻のうちの5巻に入ってからで、それまでは殆ど、孟嘗君となる前の田文の育ての親と生みの親の話である。ただ、この小説に関して言うと、だからといって5巻がつまらないというわけではない。孟嘗君自身も面白いエピソードをいくつも残している。ちなみに、そのうちの一つに鶏鳴狗盗というのがあり、百人一首にある清少納言の歌

夜をこめて鳥のそら音は謀るとも夜に逢坂の関はゆるさじ

というのは孟嘗君が秦から逃げ出す時に、配下が鶏の真似をして函谷関を開かせたという故事を踏まえたものだそうである。

それでも、この小説全体としては主役は孟嘗君の育ての親である風洪(後の白圭)であると言ってもおそらく過言ではない。彼は義に篤く周囲の人をすべて幸せにするという傑出した人物である。宮城谷昌光がここまで書いている以上は実在の人物なのだろうが、Wikipediaを見ても項目がないし、歴史上の扱いはよくわからない。

この風洪(白圭)の活躍が物凄く、宮城谷昌光の描写も優れているせいか、後に話の中心が田文に移ってからも、この人が出てくると読んでいる方も作中の人たちと同様に幸せな気分を感じる。この人のキャラクターはこの小説の枠を超えても特筆すべきものだと思う。あとがきに書かれていたが、新聞連載として書かれていたために、宮城谷昌光本人にもこの風洪の人気というのは書いている段階で耳に入っていたそうである。こうしたことも作中の彼が神々しい力を得たことに繋がったのだろう。

それとバランスを取るように、孟嘗君の生みの父である田嬰に関する描写も印象が良い。小説の出だしの所では田文が5月5日生まれであるが故に、迷信を信じて殺そうとしたり、また斉の前王家を支持する一家を皆殺しにしたりする恐るべき人物である。後者に関しては後に誤解であることが明らかにされる。田文と再会したあたりから外交手腕に長けた有能な好人物として描かれていて、田文を自分の息子と認知してからも息子を気遣う良い父親となっている。また、孟子が栄公に恨まれて田嬰の下に逃げ込んで来た際に自領を栄軍に攻め込まれるも、孟子を渡さずに守りきった人だそうである。

脇役も敵方になる人も含めて、総じて魅力的な人が多いのだが、その中でなんとなく心に残ったのは、馬陵の戦いで敗れる魏の武将龐涓についてである。彼は、歴史に名を残す兵法家である孫臏と共に学び、どうしても孫臏にはかなわないと知っていたために孫臏を罠に陥れるが殺せず、恨みを買ってその後戦争で盛大に敗れて死ぬ人である。この龐涓が好人物として登場し、市井で風洪の命を助ける場面もある。後に風洪にとって大事な女性だった仙泉という女性を妓館から救い出して仲良くしたりもしている。ちなみに龐涓が風洪を助けるのは、風洪が仙泉に会いにいった帰りのことなので、この当時から龐涓も仙泉と仲良くしていたという下地もしっかり作られている。彼はもちろん作中でも盛大に散るわけだが、個人的にはこの龐涓が戦死したのが勿体無い印象が強かった。孫臏は酷いことをされているので、その復讐を遂げたということで良いのだが、それまでの龐涓の扱いが悪くなかったために孫臏の復讐に乗れない気分が残ってしまった。

宮城谷昌光の小説はかなり読んでいて、読む度に面白さに感心している。今回は長かったこともあり、その感動も深かった。相変わらず美女も惜しまず多数登場しているが、それぞれ持て余さずに落ち着くところに落ち着いた印象である。龐涓に先立たれてしまった仙泉にもその後のフォローがちゃんとある。そして、晩年の孟嘗君を助ける馮驩という人物がいるのだが、彼に関しては一番最後にどんでん返しのような形で終わり、思わず仰け反った。分類としては歴史小説なのだろうが、伝記のようで、冒険小説のようで、推理小説のようで、様々な要素が含まれている凄い小説だった。宮城谷昌光は結構多作だが、「孟嘗君」は少なくとも代表作の一つということになるのではないだろうか。




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