2019年8月1日木曜日

歴史随想パッチワーク


歴史随想パッチワーク
犬養道子 著



2008年3月10日 初版発行

犬養道子は1921年生まれ、2017年に96才で亡くなっている。特に難民を救済するために世界を飛び回っていて衛生的に問題のある場所にも散々行ったはずの人だが、それでも命を縮めることなく文章からも読み取れる生命力を見事に活かしきった年齢まで生き抜いたと言っていいのではないだろうか。だが、私個人としては、今思えば私自身が若い時にこの人のことをもっとちゃんと知っていれば講演の1つでも聞きに行けた可能性があったかもしれないと思うと少々無念である。

数年前に犬養道子の「お嬢さん放浪記」というのを読んだ。この本は彼女が経験したとんでもないこと(どちらかというと楽しいこと)が色々書かれているのだが、これが出版されたのが1958年というから、一般的には信じられないようなそれだけのことをそれまでに彼女が経験していたことにもまた驚かされる。そして、この本の後書きを誰か有名な男性(忘れた、本を探したが見つからなかった)が書いていたのだが、その人が、「読者の人はこの本の話を信じられないかもしれないが、本人に会ってみれば信じられる」というようなことを書いていた。よくわからないが個人的にはこの話に凄く納得したのだった。

それより前のこと、阿刀田高が書いた「旧約聖書を知っていますか」という本を読んだのだが、この本は素晴らしい本で大変面白かった。そして、この本の中で阿刀田高は犬養道子の「旧約聖書物語」から再三引用をしていた。その勢いで買ったのが犬養道子の「旧約聖書物語」と「新約聖書物語」で、この分厚い2冊は今でも私の本棚で燦然と輝いている。実を言うと「旧約」の方は読破したのだが、「新約」の方はまだ全部読みきったとは言えない、栞が挟まったままにになっている。「いつでも読める」と思ってしまっている。

結局手元においてはその3冊しか読んでいない。それでもどういうわけか犬養道子には私は自分としても特別な全幅の信頼を置いていたが、それは今回この本を読んでまた追認されることになった。今回読んだ「歴史随想パッチワーク」は雑誌の連載を纏めたもので、出版は2008年だから、雑誌連載はもっと前としてもかなり晩年の作である。もしかすると犬養道子の最後に出した本だったかもしれない。そして、彼女なりに今の世間を厳しく見ならが、言うべきことを言ったという印象がある本だった。

この本「歴史随想パッチワーク」の大きなテーマは「歴史認識」である。現代の日本ではなんとも不穏な響きのする言葉になっているが、もちろん2008年の本なので、そのことも前提に話は進んでいく。

「客観とおっしゃるが、客観とはいったい何ですか」。多くの人は答えた、「主観の全く入っていない物の見方です。そのときほんとのことが見えて来るから」。「じゃあ、主観とはいったい何ですか」。多くの人は、私をバカと思うようである。バカで少しもかまわない。わからないものは、わからない。その上に私は、おこがましくも(あるいは不幸にも)、世の中にもっとバカが増えてくれたら、歴史はもう少しスッキリするだろうとさえ思っている。

何処をとっても教養の塊のような人をバカだと思う人はいないだろうが、この後には「客観」とは何かについて、語源からの説明が続く。

「客観だけが正しい」などと言う人を信用しない方がかしこいと言い切りたいところだが、では「客観」が正しいものとなるケースは、全くないと言えるのか。いえ、言えない。

ここから始まって、ヘロドトスと司馬遷、アレクサンダー大王、ロゼッタストーンを解読したシャンポリオンと楔形文字を解読したローリンソン、こうした人たち、そしてナイル川、アレクサンドリア、万葉集についてなど、著者らしいキリスト教的な観点と、そして自身の多様な経験から様々な視点で語っている。

その中で印象的だったのは、1932年5月15日の所謂「五・一五事件」の話。犬養道子の祖父である当時の犬養毅首相が殺害された事件について、その時の様子が詳しく書かれている。本人は当時10才のはずだが、その場には居合わせず、母親と弟が居合わせたのだという。それでも身近な人の事件らしい生々しい説明が印象的だった。

この本は全17章から成っているのだが、「『歴史認識』とは何か」という直球の題名がついている15章から若干趣が変わる印象である。

いったい、何を言いたいのだろうと訝られる読者は少なくないに違いない。意地悪のようだけれど、まずは訝しがらせ、視野をうんと広げさせ、そののち各自が答えを出しつつ、各自の歴史観を編み上げる手ほどきになればとの思いからである。

そしてこの章には「朝鮮」と「中国」について、長い日本との関わりと先の戦争で起こったことについて書かれている。そして、凄かったのは中国との話で、犬養道子は1941年に中国側の汪精衛を相手にした「日中和平工作」の1つに主にカモフラージュとしてだと言うが直接上海に行って関わっていたのだという。そして、その間に南京大虐殺が起こったのだそうだ。

日本国を公式に代表する人々は、「不幸な過去」ということばを時たま対北朝鮮(や対中国・対韓国)に使用する。あるいは「御迷惑をかけた」と言う! 迷惑と悪事とはべつの全くちがうことなのである。日本国を、公に代表して発言する人は、「わたくしの属する日本国が過去においておこなった対朝鮮(対中国、対韓国)のむごさすべてを深く悔いつつ謝罪し、想起し… こんごは手をたずさえて善き将来を共に導いてゆこう」とはっきり言うべきなのである。いや、とうの昔に言うべきだったのである。

謝罪とは「弱みを見せること」とは全くちがう。自らの過去に責任を負うとは、実は勇気のあらわれなのである。

中国人としても朝鮮半島の人としても、南京大虐殺でどれだけの人が殺されたか、従軍慰安婦としてどれだけの人が酷い目にあったのか、ということだけが問題なのではないだろう。もちろんそれだって問題なのだが、こうしたものはそれ以前からの積み重ねの上の話だ。関東大震災では朝鮮人をいとも簡単に殺し、南京では中国人を人を人とも思わず殺すことができた、なぜ日本人はそうなってしまったのか、そのことに向き合ってきたのか、という問題だ。いずれにせよ、著者はこの本で謝罪の努力を政府に求めているが、私は結局日本は戦後の「謝り方」に既に失敗していて、それは確定してしまったのだと思う。そして、それは隣国に対してだけでなく自分たちに対しても失敗したのだ。

私たちが歴史として南京大虐殺を無かったことにしようとしても、当時のマンチェスター・ガーディアンが伝えたよりも罪が軽かったことにしたとしても、韓国併合を忘れたとしても、そういう歴史認識を次の世代に伝えたとしても、被害にあった国の人たち、つまり中国人や朝鮮人はいつまでもそれとは違う歴史を忘れはしないだろう。この長年付き合ってきたはずの隣国に対する「謝り方」に失敗してしまったという事実は、私は必ず後の世代に跳ね返ってくるものだと思う。もはやそれが避けられないとしても最小限に抑えなければならない。政治にできることは既に無いとは言わないが、現実的に考えて政治が使えないのならば別な部分で補っていくしかないのだろう。犬養道子がこの本で示した態度はそれに繋がるものではないだろうか。

この本ではこれでは終わらない。16章では「蔭の人々」と第して、イスラム社会、特にアフガニスタンで苦しい生活を強いられる女性たち、英国の植民地にされたアフリカの小国スワジランド国(2018年にエスワティニ王国と改称)の友人と、その国にあった女性に対する信じられない虐待的な伝統について、黒人奴隷の歴史とゲティスバーグではない方のリンカーンの演説、クロムウェルによって迫害されついにはアメリカに逃れたカトリックのアイルランド人たち、そして難民について。歴史に「傷」があるのは私たちの国だけではない。それを正当化したり、消してしまうよりも見つめ直す強さの方がずっと自分たちの国と次の世代のためになるはずだ。

そして17章は、この本の流れからすると少々意外な感じもしたが、聖書の「黙示録」の読み方が詳細に記されている。この部分は大著「聖書を旅する」の一節を加筆修正したものだそうだ。これをここに載せたのは、著者がここまで書いてきた人間の歴史の素晴らしさと悪辣さ、その後者について、なぜそういうことが起きるのかということの答えを聖書に求めたものではないだろうか。

難民地や飢餓地やすさまじい内戦地で、筆者の心を占めつづけたのは、右の祈りと問いだった。なぜ? なぜ、こんなひどい悪をゆるす神が「善い」? なぜ創世記が、六つの創造のさいごに「神は善し」と見たと書く? なぜ、アウシュヴィッツやヒロシマ・ナガサキの悪の極限をゆるす神が「善い」?

今更気づいたわけではないが、私はキリスト教徒の人が書いた本が好きである。正確に言うと日本人のキリスト教徒が書いた本が好きなのだ。全部が全部というわけではないが、その人がキリスト教徒なんだと聞くと、「ああやっぱり」と思うことは多い。それは特にキリスト教に特別なシンパシーがある、とかではなく、日本でマイノリティであるキリスト教徒として生きていくにはそれなりの覚悟が必要ということなのだろう。




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