2019年7月17日水曜日

ゲーデルの哲学


ゲーデルの哲学
不完全性定理と神の存在論
高橋昌一郎 著


1999年8月20日 第一刷発行

クルト・ゲーデルは1906年生まれの数学者、論理学者、哲学者。自分で読む本としては、紀元前のプラトンから突然現代に跳んだが、この本によれば、ゲーデルは「アリストテレス以来の最大の論理学者」と言われることもあるそうなので、そう間違った順番でもないだろう。

ゲーデルは述語論理の「完全性定理」、数学に於ける「不完全性定理」を証明した人だそう。この本は特に後者のその内容を、出来る限り論理記号や数式を用いずに日常言語で説明しようとした本である。ゲーデル自身の生い立ちやエピソードなども書かれている。以前アインシュタインの本を読んだ時に、アメリカに行ってから仲良くして影響を受けた数学者がいた話があった気がするのだが、この人だったのだろうか。

筆者もそのようなことを書いているが、この本が日常言語で数学的理論を説明しようとしていること自体によって、数学的記述や論理記号の必要性が理解できる気がした。ようは日常言語の例え話にしてしまうと、想定や解釈に幅が広がりすぎてしまうので、厳密にそうとしか言えないことを表す記号や式が必要ということなのだろう。それは別としてもこの本の例え(アナロジー)は優秀で、一度読んで「わかった」とは言えないが少なくとも「わかったような気はした」し、本を離れて自分でも考えやすいものである。

最近、次の英50ポンドに顔写真が載ることが決まったアラン・チューリングが開発し、現代のコンピューターの基礎になったチューリング・マシンとゲーデルの理論は相性が良いらしく、ゲーデルはアメリカで行った有名な講演でチューリングを話題にしている。狙って読んでいたわけではないが、時事的な話題とリンクした読書になった。

「不完全性定理」について適当なことは言えないが、若くして「人間の理性の限界」とも言われる定理を証明してしまったゲーデルはその後は数学の一線から一歩退くような形になって哲学に傾倒し、最終的に「神の存在論的証明」を考えている。それでも本人は必ずしも特定の宗教というかキリスト教に対して敬虔だったわけではないそうだ。個人的には「不完全性定理」そのものに既に神の存在を感じなくもないが、数学者はそう考えるわけにはいかなかったのだろう。

おそらく人類は洋の東西を問わず、歴史的にその時点では説明できないものを「神」として崇めてきた。ただ、その中でそれを敢えて単純に信じようとせずに探求して説明しようとする人たちが必ずいた。彼らはその前の世代が「神の御業」と信じていたものを理論的に説明するが、それでもその先にも説明できないものは必ず存在している。どんなに人間が進化して科学が進歩しても人間が説明できないものは時間が続く限り存在し続けるはずで、そのこと自体が、あえて言うなら「神」の存在なのだろうと思う(それを証明しろと言われても無理だが)。

閑話休題。ゲーデルの定理の理解は難しいが、この本自体は読みやすいし、思考を刺激される面白い本だった。ゲーデルについても筆者についてももう少し他の本をあたってみたい。



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