2019年2月17日日曜日

コーランを知っていますか



コーランを知っていますか
阿刀田高 著

2003年8月30日 発行

厳密にシリーズなのかどうかはわからないが、阿刀田高のこの類のシリーズは、ギリシャ神話から始まって、旧約聖書新約聖書アラビアンナイト古事記シェイクスピアと読んだことがある。どれも非常に面白かったのでこのコーランについても期待して読み始めたのだが、どうも読みにくかった。というか時間的にすぐ読み終わると考えて予定していたのだが、時間がかかった。

その理由をいろいろ考えながら読んでいてたが、たいていのことは著者が自分で書いている。

ギリシャ神話に触れ、新・旧二つの聖書を読んだときと同じようにコーランにも、
ー イスラムのストーリー性はどうかな ー
と、当初は期待して読んだから、いささか当てが外れた、ということ。
勝手に期待して、それが叶わなかっただけなのだから、文句のつけようもないけれど、これはコーランの特徴と言ってもよいだろう。

聖典や宗教自体にあまり興味を持っていない読者にも興味を引くような部分を見つけてそこから話を広げていくのが阿刀田高のこのシリーズの定番の手法かと思うが、その意味ではおそらく取っ掛かりがなく、噛み砕いて面白い話として伝えるということが難しい内容なのではないかという印象だった。

また、コーランそのものの翻訳が引用して使われる部分もあるのだが、それもどうも読みにくい。もともと個人的に例えば小説の中に出て来る詩歌の類を読むことが苦手というのもある。このコーランの翻訳は日本ムスリム協会が発行する「日亜対訳・注解 聖クルアーン」というものによっているようで、厳格な人が多い宗教だけに、著者が自分で訳をつける、あるいはイジるようなことが難しかったのも一因だったのかもしれない。

そして、これも本文に書いてあったがそもそもコーランはアラビア語以外は認められないもので、口頭伝承を重要視するもののようである。アラビア語で読まれるコーランの詩的な美しさというのも価値があるそうで、そうした部分でも別な言語の本として良さを伝えにくいものなのかもしれない。


内容的に興味深かったのは、イスラム教がユダヤ教、キリスト教を踏まえたものであるということは知っていたが、まともにイブラーヒーム(アブラハム)、ムーサ(モーセ)、イーサ(イエス)等がコーランそのものにも何度も登場しているということは知らなかった。

利子についてや相続についてもかなり細かくかかれた部分もあり、かなりその時代の実質に寄った内容なのかなという印象だった。そしてそれを現代でどう活かすかということがおそらく今のイスラム教徒に問われているのかもしれない。

期待ほど楽しめなかったというか、ちょっと読む姿勢を入り間違えた感じがあって楽しみきれなかったが、それはとくにコーランや阿刀田高のせいではないであろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿